Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

お涙ちょうだいもの

 お涙ちょうだいもののようなドラマや物語の流行についての、新聞記事を読みました。「愛と死をみつめて」風の感動ものが、いかに多いことか。でもこれは今に始まったことではありません。物語と人との関係の中で、歴史的に繰り返されてきたことです。

 受容者の側から見れば、物語の歴史についてすべて把握するなどということはできません。それは、特殊な人、批評家や研究者や愛好家に限られています。多くの受け手は、その種の物語に初めて接するのかも知れません。あるいは、短いスパンの記憶の中で、以前と同じパターンの作品に触れて感動することを求めるのかも知れません。

 いずれにしても、人が何をどう求め、受けとめようと自由なのですから、類型的なものに感動することが流行したところで、目くじらを立てることはないでしょう。新聞は、常に高みに立とうとしますし、記事に引用される諸家の意見も、各々皆偏っています。ドラマや映画に接して泣くことを求める人がいたって、何が問題なのでしょうか?かつて映画には誰もが泣くために見に行ったのだという映画批評家もいます。

 しかし、物語の側から見れば、物語は受容者が忘れることと、同じ物語を繰り返すことをかなり本質的な要素として持っています。真に新しいものは、そうざらには生まれません。だから、忘れることは受容の契機となります。また、成功したパターンの繰り返しは、受容の持続を帰結します。つまり視聴率が上がるのです。

 ですからあなたがもし、ドラマや物語に対して、少しでも批判的・批評的なスタンスをとろうとするなら、まずはこのような、繰り返すことと忘れることについて対象化しなければなりません。そのスタンスの程度に応じて、物語の歴史や構造を学ぶことは、このような理由で必要となります。

 「情勢」のカテゴリでは、比較的タイムリーな話題を取り上げて、コメントしたいと思います。もとより、どれもこれも、ものすごく偏った個人的な意見です。私の言うことを信じてはいけません。