Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

メトニミー(映像の)

 フリッツ・ラング監督『M』において、盲目の風船売りは、幼女誘拐犯が吹いていた口笛の『ペール・ギュント』をたよりに犯人を見つけます。誘拐される少女はボールで遊んでいましたが、誘拐された後、そのボールが転がり、犯人にもらった風船人形が電線に絡まっているショットが続きます。口笛の曲は犯人と似ていないし、ボールや風船は女の子に似ていません。けれども、それらは明確に、その人を指し示しています。これは、映像におけるメトニミー(換喩)です。

 言語におけるメトニミーは、「赤頭巾」でそれを被った女の子を、「青ひげ」でそれをはやした男を表現する、というように、隣接性に基づく比喩とされます。また「茶碗むし」(茶碗という容器に入れ、蒸して作る)など、容器で内容物を、原因で結果を、のように、この隣接性は縁故・関係にまで拡張できます。映像は、空間や音によるイメージの表現が得意ですから、メトニミーの宝庫と言えます。

 究極のメトニミーとして、小津安二郎が得意とした〝空のショット〟が挙げられます。『M』でも、女の子のいない食卓や階段などのショットが、空の空間を映すことにより、そこにいるべき人物の不在を表現していました。ただし、小津の場合は、〝空のショット〟が何のメトニミーなのか、にわかには分からないことも多いのです。『晩春』で父娘が旅館で眠りにつく場面で、床の間の花瓶が繰り返し映されますが、この花瓶は何の表現であるとは、明確には言えません。まさしく、解釈の多様性により見る者をテクストに引き込む、空所であると思われます。

 映像のメタファーとメトニミーの話は、高校生向けの模擬講義や、学部1年生向けの専門基礎講義などで、よく取り上げるテーマです。