手にてなす なにごとも
私の高校時代は、吹奏楽と中原中也で明け暮れました。
布の肩掛け鞄には、楽譜と、(またまた)角川文庫の『中原中也詩集』が必ずといっていいほど入っていました。暇さえあれば、それを出しては読んでいました。いったい、それにどこで出会ったのか、もはや思い出すことができません。中学時代の室生犀星、高村光太郎の後に、中也の詩に惚れこみ、そして文芸そのものにも開眼して行ったと言えます。
「サーカス」「朝の歌」「臨終」「帰郷」「宿酔」……どれ一つとして、完璧でないものはありません。というよりも、このようなものが詩だ、というパラダイムとして、中也の詩は迫ってきました。そしてその詩の美しさは、言葉の美しさでもあり、言葉が(サルトルの言うような)モノとして、実在感をもって訴えるのです。
そこで言葉は、現実からは切り離され、完全に独立していました。しぜん、物語としての流れよりも、一語・一行・一連の細部にこそ、言葉の魂は宿ります。
私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めてゐた……
噫(ああ)、生きてゐた、私は生きてゐた!
(「少年時」)
ここには、それこそギロギロする、怒張した生命の勁(つよ)さと、その生命の、意志の屈折の力が漲っています。そのような詩句はいくらでも挙げられます。なにしろ、毎日、毎晩、私は中原中也なしにはいられないほど、角川文庫を読み耽っていたのです。そして中也から、ランボー、ヴェルレーヌや、ダダイズムを初めて知りました。それらは以後、サルトルやカミュを読み始める下地をなしたのです。
そしてまた、中也、立原道造、谷川俊太郎ら、日本のソネット詩人たちの形式美も、私の心をとらえました。自分でも、ソネット形式の詩をいくつか作ってみたのです。それらはたいがい、中也か道造の模倣でした。
けれども、不思議ですね、大学に進んでからは、いわば「大人の文学」である中也よりも、むしろ甘美で優しい立原の方が好きになったのです。私は次第に中也から離れていきました。でも、疑いもなくそれは、今でも私の言葉の地層の奥底にある、文学のふるさとです。
布の肩掛け鞄には、楽譜と、(またまた)角川文庫の『中原中也詩集』が必ずといっていいほど入っていました。暇さえあれば、それを出しては読んでいました。いったい、それにどこで出会ったのか、もはや思い出すことができません。中学時代の室生犀星、高村光太郎の後に、中也の詩に惚れこみ、そして文芸そのものにも開眼して行ったと言えます。
「サーカス」「朝の歌」「臨終」「帰郷」「宿酔」……どれ一つとして、完璧でないものはありません。というよりも、このようなものが詩だ、というパラダイムとして、中也の詩は迫ってきました。そしてその詩の美しさは、言葉の美しさでもあり、言葉が(サルトルの言うような)モノとして、実在感をもって訴えるのです。
そこで言葉は、現実からは切り離され、完全に独立していました。しぜん、物語としての流れよりも、一語・一行・一連の細部にこそ、言葉の魂は宿ります。
私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めてゐた……
噫(ああ)、生きてゐた、私は生きてゐた!
(「少年時」)
ここには、それこそギロギロする、怒張した生命の勁(つよ)さと、その生命の、意志の屈折の力が漲っています。そのような詩句はいくらでも挙げられます。なにしろ、毎日、毎晩、私は中原中也なしにはいられないほど、角川文庫を読み耽っていたのです。そして中也から、ランボー、ヴェルレーヌや、ダダイズムを初めて知りました。それらは以後、サルトルやカミュを読み始める下地をなしたのです。
そしてまた、中也、立原道造、谷川俊太郎ら、日本のソネット詩人たちの形式美も、私の心をとらえました。自分でも、ソネット形式の詩をいくつか作ってみたのです。それらはたいがい、中也か道造の模倣でした。
けれども、不思議ですね、大学に進んでからは、いわば「大人の文学」である中也よりも、むしろ甘美で優しい立原の方が好きになったのです。私は次第に中也から離れていきました。でも、疑いもなくそれは、今でも私の言葉の地層の奥底にある、文学のふるさとです。