術語集
物語を読むことはどのような行為なのでしょうか。それを現象的な局面からとらえてユニークなのは、ジェラルド・プリンスの語り論です。プリンスの語り論は、読むことのファクターを大きく導入した点が特記されます。すなわち、物語を読むことは、読者が、テ…
小説は、他の言語形式をジャンルとしてパロディ化し、次々と取り込んでいくジャンルである、だから小説は、未だ発展途上の、未完成のジャンルである。このように主張したミハイル・バフチンの『叙事詩と小説』は、小説というジャンルの論議を大きく進めたよ…
ミハイル・バフチンの文芸理論の代名詞となった概念です。『小説の言葉』では、小説の語り手はイデオロギー的な存在であるというテーマとともに、小説の語り手の声は一つではなく、由来を異にする複数の声が葛藤を繰り広げる対話の声であるとされます。『ド…
馴染みの深い比喩であるのにもかかわらず、シミリー(直喩)の理論は遅れています。「銀河鉄道の夜」から引っ張ってきた次の文を例に借りて、直喩の概説をしてみます。 (1)「僕は立派な機関車だ」(隠喩) (2)「僕は立派な機関車のようだ」(直喩A) (3)「僕…
「寒いと思ったら白いものが降ってきた」で、「白いもの」=雪を、「今、必要なのは大砲よりバターだ」で、「大砲」=軍事力、「バター」=民生を指示するのが、シネクドキー(提喩)です。前者は、「白いもの」というクラスでそのメンバー(雪)を、後者は…
レトリック(修辞学)は、言葉の特異な使用方法の理論です。比喩の理論はレトリックで重要な位置を占めますが、発想・配置や話題の選択などもすべてレトリックの範疇に入ります。さらに、比喩の理論は、歴史上、なぜかメタファー(隠喩)の理論に著しく偏っ…
ロラン・バルトの「作者の死」「作品からテクストへ」に代表されるように、テクスト読解の際に作者のコードを利用しないことが、いわゆるテクスト論の徴表であるかのように見なされています。しかし、テクスト論を離れても、作者のコードを過大視するのが一…
プラトンが『国家』において、詩人を理想国家から追放すべきと述べたのは有名です。プラトンによれば、詩人はミメーシス(真似)を得意とし、人の行為を真似して表現するが、真似はえてして悪い部分、劣悪な性質に偏りがちだというのです。(子どもが親の悪…
文化テクストの様式を空間性の観点からとらえたのが、ユーリー・ロトマンの文化記号学です。文化テクストは、内/外、下/上、我々/彼らといった空間的対立構造を骨格とするような、空間的配置をとるということです。文化テクストとは、その文化に属するあ…
科学史において、あるパラダイムが、他のパラダイムと、有意味性の条件が全く共有されない場合、2つのパラダイムは共約不可能であると言います。'incommensurability'の訳で、「共役」「共訳」と綴ることもあります。 時空間はいついかなる条件においても均…
小説ジャンルの一つで、いわば、小説の王道を行くものです。恋愛小説の多くが、恋愛の挫折・不可能性を描くものであるのと同様に、恋愛小説の典型としての姦通小説は、姦通の挫折を描きます。恋愛の成就する恋愛小説もあるでしょうが、姦通して万々歳という…
私はテクスト論者だと見られることが多いようですが、別に自分をそうだとは思っていません。ロラン・バルトの「作品からテクストへ」とか「作者の死」は正しいと思いますし、おおかたの文化研究なるものはおもしろくないと思っていますが、だからと言って作…
言葉を発する主体と、その言葉との間の関係は、日常的には自明のように思われますが、実際には単純ではありません。単純でない場合がある、のではなく、どんな場合にも単純ではないのです。 「私はあなたが好きです」と好きでもない人に言う場合、一般には嘘…
テクストに対する、十分な水準にある読解は、定量分析によってその正否を決定することができません。そのような複数の読解は、各々がそれなりの正しさを有しています。そのような素朴な意味で、真理は複数的であり、真理はその概念枠に対して相対的です。 (…
メタフィクションはフィクションの一種ですが、逆に、フィクションこそメタフィクションの一種だとも言えます。今・ここにある記号は、記号である限りにおいて表意作用を行いますが、それがどのような意味であるかは、概して一義的には決めることができませ…
知っていますよね?、倒置法のことを。言うことができますか?、その機能を。多くのことが、まだ書かれていない、と思われます。書くべきことが、まだある、という感覚が、書くことを始めさせます。 倒置法なんて、詩を読む際の基本です。中学校でも教わるか…
トーマス・S・クーン『科学革命の構造』で提唱された、科学史の用語です。自然科学の歴史は直線的な発展の経過ではなく、相容れないパラダイムの交替の歴史である、と説きます。パラダイムは、専門母型とか、規範的教科書として言い換えられます。専門はデ…
きわめて頻繁に用いられながら、概して、よく分からないままになっている典型的な文芸用語が、この文語定型詩・口語自由詩です。 まず、文語と口語の区別ですが、この場合、文語は書き言葉ではなく、古語・古文を、口語は話し言葉ではなく、現代語・現代文を…
メタフィクションの基本構造は、自己言及性(再帰性)にあります。すなわち、フィクションがフィクションについて言及することです。ジャンルは多岐にわたり、小説・詩・演劇・映画・絵画などの表象テクストは、いずれもメタフィクションを生んでいます。ま…
フレームということばは、様々な理論において多様な意味で用いられます。一般的な枠組の意味から、かなり特殊な用法までありますが、共通なのは、対象を対象と見なすことじたいに介在する、ある分節化(区分)の操作または基準という要素です。単純化すれば…
小説の中に、手紙・日記・手記・ノート・新聞記事その他のドキュメント(記録文書)が利用されている場合、それをドキュメント形式と呼んでいます。ドキュメントは、実用的なメッセージ伝達に用いられる言説形式であり、また、そこには事実が述べられている…
小説の人物を分析する方法論は無数に上ります。人間と物語、あるいはテクストに関わる理論はすべてどこかで人物に関わってきます。精神分析、反精神分析、関係論、ジェンダー批評、語り論、文化人類学……。ただし、その中でもユニークな理論として私が記憶に…
多くの小説は、何らかの人物を中心に展開される物語を含んでいます。小説を人物中心に読むのが一般的な小説の読み方であるとも言えます。太宰の『斜陽』はかず子の小説であり、『人間失格』は大庭葉蔵の小説である、という具合です。従ってかず子の心理を分…
映画における句読法は、言語からのアナロジーによって、映画記号学が映画分析に導入した概念です。典型的には、ショットとショット、シーンとシーン、シークェンスとシークェンスとの間を、区分すると同時に節合する手法であると言えます。言語でも句読点だ…
メタフィクションは、小説についての小説です。小説が、小説に言及することは珍しいことではありません。その場合、その小説は、何らかの形で小説に対する批評や、小説理論を内包することになります。小説の物語と、小説についての物語、つまり批評や理論と…
フリッツ・ラング監督『M』において、盲目の風船売りは、幼女誘拐犯が吹いていた口笛の『ペール・ギュント』をたよりに犯人を見つけます。誘拐される少女はボールで遊んでいましたが、誘拐された後、そのボールが転がり、犯人にもらった風船人形が電線に絡ま…
キューブリック監督『2001年宇宙の旅』の第1部から第2部への移り目で、猿人の投げ上げた骨器のショットが宇宙空間を漂う宇宙船のショットへと連続する場面があります。骨=宇宙船は、どちらも円筒形をしていて、形態の類似性は明らかです。 ここから、宇宙船…
小説に代表される物語形式のテクストを、誰かが誰かに対して何かを語っているという現象として理解する方法論を、語り論(ナラトロジー)と呼びます。語り論は、さまざまに精緻化されましたが、基本構造としては、どのような「語り手」が、どのような「聴き…
ジャンリュック・ゴダールの『映画史』3Bの章には、「我々の映画 真の映画とは 見ることのできない映画 それのみだった」というフレーズが現れます。この意味深長な発話は、ゴダールがアンリ・ラングロワのシネマテーク・フランセーズで貴重な映画作品を見…
小説構造の一つで、この構造を持つ小説を額縁小説と呼ぶこともあります。物語や映画その他のジャンルにも用いられます。枠構造・枠物語・枠小説などの呼び方もあります。 『アラビアン・ナイト』は、王シャフリヤールに毎夜、物語を聴かせることにより、殺さ…